ムーンストーンカットグラス

「three、two、one……」
 ――かけたのはとっておきの魔法。
 ――もう、思い出すことはない。
 
『one、two、threeは繰り返し』
『繰り返し』
『three、two、oneはとっておきだからな』
『とっておき……うん、とっておきだね!』
 
 ――寂しそうな顔見たくなくて、花を……青い薔薇を差し出してた。
 ――寂しくありませんようにと願いを込めて。
 
『青子ね、快斗がくれるこのお花だいすき!』
 
 ――繰り返す魔法ととっておきの魔法。
 ――みっつの単語で出来た簡単な、それでいて最高の魔法。
 
『三つ数えたら、オレの事全部忘れる。いいな?』
『やだよ。そんなの。どうして? 青子は快斗の事忘れたくない! そんなとっておきいらない!』
 
「覚えてるわけがないんだよ、とっておきの……だったんだから」
 ――そう、覚えているわけがない。
 ――三つ数えて、オレの事を全部忘れるように魔法をかけた。
 
 
『忘れないから、思い出すから、覚えてるから……だから、絶対来るから! そうしたら、青子……』
 
 ――覚えているわけないと分かっているのに、約束された場所に仕事を終わらせたら来てしまう。
 ――そう、覚えているわけがない。
 
 自分に言い聞かせるように呟く言葉は宵闇に溶けて。
 もう一つ言葉を飲み込んで、昏い空を見上げた。
 
 不意に響く無機質な音。
 静かな空に誰かが階段を上って来る。
 
 そんなわけがない。
 あれはとっておきだったのだから。
 追いかけてきた警察かはたまた探偵か。
 そうに違いない。
 
 無機質な音は止まらず近づいてくる。
 音で分かる。知っている。
 駆けてくるこの音。
 知らない訳がない。
 覚えている。
 毎日聞いていた音。
 
 繋がる扉が大きく開いて名前を呼ばれる。
 
「快斗!」
 
 向き合うと月に照らされ、ふわっとした彼女の癖毛が踊る。
 少し幼い柔らかい相貌。記憶の中の彼女そのまま。
 
「青子、思い出したよ。だから」
 交わした約束を思い出して、唇が嬉しさに歪む。
 そんなわけないのに、とっておきを乗り越えてくる。
 
「しゃーねえなあ……」
 白い衣装をはぎ取り、彼女のよく知っている彼へと衣装を戻し、手を差し出す。
 受け取った手はあの頃と何も変わらず。
 
 
「後悔すんなよ」
 嬉しさしかないのに漏れ出る憎まれ口に、青子は出会った時と同じ笑顔をくれる。
 
 もう離すわけにはいかない。
 重ねた手を握りしめた。