よるにねむる

 困った、と中森青子は思った。
「薬貰ったから」「飲ませて」「オレのアパートで」
 聞こえてくる言葉が不穏極まりない。どうしてこんな時に自分はアルコールを飲んでしまったのか。いや、こんなに飲んだつもりはなかった。頼んだのはウーロン茶。渡されたものを素直に受け取り飲んだ。アルコールだった。喉が焼け付いた。普段飲むのは同じアルコールでも薄い薄いチューハイ。一瞬で気を失いそうになるのを何とか抑えた。
 どうしてもと言われてきたサークルの飲み会。このサークルには何の関わりもない。ただ、一人欠席者が出て、ギリギリだから人数変更も出来ないので出て欲しいと頼まれてきただけだ。
 よく知らない男の人がずっとまとわりついてきた。何度も手を触られて気持ち悪かったけどあからさまに振り払う訳も行かず何とかやり過ごした。やっとお開き、と聞いた途端足に来た。立ち上がることが出来ない。
「じゃあ、俺が送っていくよ」
 嘘だ。この人は家になど送ってくれない。何があっても自分の足で帰らなければ。腰を持たれた。気持ち悪い。近づかないで。やだ。青子はこのひとはやだ。
「すみません、オレが連れて帰るんで大丈夫ですよ。有難うございます」
 聞きなれた優しい声。気持ち悪さを遮ってくれた暖かな腕。倒れそうな青子を支えるように背中にそっと回される。
「かいと」
「おう、オメー飲み過ぎじゃね? 立てるか?」
「むり」
「そっか。じゃあちょっと我慢しろよ」
 ひょいと片腕だけで抱き上げられ、あっという間に顔の高さが同じになった。おちるなよ、と言われて首元に手を回し、顔を寄せる。大好きな人。
「誰だい? そんな勝手に連れて帰られるわけはいかないよ。危ない人だったら困るからね」
「そちらこそどなたでしょう? 彼女を送ると言っていましたが家をご存じで? この状態の彼女から聞けるとでも?」
 矢継ぎ早に快斗が言葉を発する。昔、こういう声のトーンで牽制かけたりしてたよね、とふと思い出す。もしかしてちょっと怒ってる? 青子が迷惑かけちゃったからかな。ごめんなさい。お話終わったら謝らなくちゃ。
「オレはちゃんと帰る場所も知っていますし、何より彼女の父親に頼まれてきたのでご安心を」
 『父親』という言葉に気持ち悪い人が息をのむ。そういえばお父さんに遅くなるって連絡したっけ。
「お父さん?」
「そーだよ。飲み会行ってくるって知らせただろ。帰り遅くなりそうだから迎えに行ってくれないかって。工藤の手伝いしてたら丁度会ったんだよ。警部はまだちょっと帰れなさそうって」
 『警部』という単語に今度は短く声を上げる。ふふん、青子のお父さんすごいんだから。キッドの専任だったんだよ。
「バイク?」
「じゃねーよ。酔っ払ったオメーのせたら落っこちるわ」
 確かにこの状態では快斗にいつものように掴まれない。力が入らない。今だってもたれかかってる。近くにある声と呼吸が気持ちいい。
「では、お先に。二次会とやらであまり飲み過ぎない方が宜しいかと」
 慇懃無礼に快斗が軽く頭を下げて部屋を後にした。

「こーら、青子苦しいって」
 近づき過ぎだろ、と快斗の首元に巻いた手を緩めようとした。なんで。このままがいいのに。
「だって、気持ち悪かったんだもん」
「なんだよ吐きそうなら言えよ」
「違うの、あの人。ずっとずっと隣でしんどかった。やだったの」
 近づいてきた。近い以上に近かった。あんな距離で何する気だったの。
「快斗はね、気持ちいい」
 首元に青子は顔を預けたまま、巻いてた腕をもっときゅっとする。落ち着く。いつもの声、よく知ってる体温。
「何言って……オメー眠いだけだろ」
「ねむい」
 快斗があったかいからよ、と言いたかったのにどんどん瞼が下がって来る。どうしよう。連れて帰ってくれるんだし、いいかな。快斗なんだし。呼び出し音が聞こえる。電話? どこに?
「あ、警部? 快斗です。青子いました。なんかちょっとアルコール飲んじゃったみたいで。今から連れて帰ります。はい、大丈夫です。おやすみなさい」
 お父さん。そういえば頼まれたって言ってたね。ご連絡して快斗らしい。そういうとこらしくて好き。
「かいとはね、やじゃないよ」
「何が」
 通話終了をタップして、スマホをチノパンのポケットにしまってる。お電話終わった。
「こうやってするの。またしようね」
「オメーはよ……」
 首元暖かい。眠い。呆れたような声が心地いい。もっとお話して。
「ありがと、快斗」
「どういたしまして」
 もうすぐタクシー来るからな、という快斗の声が遠くに聞こえた。もう、寝よう。

 あーもう危なかった危なかった。あいつ絶対青子持ち帰るつもりだっただろ。
 急遽飲み会に出ることになったのは聞いていた。場所も聞いていた。アルコールは口にするなというのと遅くなったら電話しろとは言い含めた。
 だけどあの状態じゃ電話なんかしてこれねえ。工藤の手伝いなんて普段ならめんどくせーとしか言えないが、今回ばかりは助かった。行った先の警視庁で中森警部と会えた。迎えを頼まれたら堂々と乗り込める。言われなくても乗り込む気ではいたけど。
 大体、飲み会の頼まれ方からして怪しさしかなかった。大学生は自由過ぎる。うちの大学じゃなかったな。どこの大学だよ。少し手まわし根回ししとくか。工藤にでも情報やっとけばなんとかなるだろ。間違えたらあれは工藤の彼女もやられる。彼女は素面なら誰にも負けないが、酒の席ではわからない。
 オレの方にもたれかかってすやすやと寝ている青子。昔ほど危機感は薄くない。それでも心配はしてしまうもので。無駄足になってほしい時ほど無駄足にならない。
「あ、そこです。その門の前で」
 中森家の見慣れた門を指さし車を止めてもらう。支払いを済ませ、タクシーから青子をおろす。寝ている人間というのは何故こんなに重いのか。片手で抱えあげると胸元に青子の顔。こいつオレの前で寝過ぎじゃないか。大丈夫か。何かされるとか少しは思え。いや、まあ、しないけど。うん。
 飲んだのは強めのアルコールだけとは思うけど、睡眠薬とか混じってねーだろーな。少しばかり不安がよぎる。勝手に家の鍵を開け、青子を部屋のベッドに横たわらせ布団をかけて一安心。
「何かあったら電話しろよ。おやすみ」
 聞いてもないだろうけど一言声をかけて、寝ている枕元にスマホを置いた。さて、帰るか。

 数時間後。『快斗、どこ?』という電話で起こされ、また中森家へと足を運んだのは別の話。