SIDE:KAITO
懐に入れてるスマホが振動する。まだだ。まだ、ここでは出てはいけない。足が重い。体中が痛い。呼吸がしにくい。左肩からの出血は止まらない。血を辿られないようにはしてある。
なんとか空にいちばん近い場所までたどり着いて腰を落とし、辛うじて動く右手でスマホを取り出す。
表示される「青子」の文字。今いる所にいちばん近い、色。
「どーしたよ、青子」
『あ! かいとっ!』
息苦しさを押し込めて、何とか応えるといつもの聞きなれた幼馴染の声が自分を呼んだ。
『あ、あのね。そっちどう? お腹壊したりしてない?』
いきなりそれか。マイペースな発言に思わず苦笑いがもれる。いつもの青子だ。事がなかなか上手くいかず撃たれたり追い詰められたりでささくれ立ってた心が落ち着きを取り戻す。
「オメーはオレを何だと思ってるんだ。子供じゃねーんだぞ。」
『子供じゃなくてもお腹は壊すでしょ! いつもと違うご飯食べてるんだから尚更。それにそっちはこっちより涼しいんでしょ』
ぷんすかと始まるお小言に自然と緩む口角。離れているのはほんの数日なのに懐かしい。
「飯はうまいよ。さすが北海道」
北海道じゃなくシンガポールだけど。空腹は満たせるだけで満足感は味わえない。満足感で言うなら青子の料理の方が快斗にとっては遥かに上だ。
『おさかな食べた?』
「いうな」
『折角の北海道なのに海産物少しは味わいなさいよ』
「味わわない」
ひょいっと出された忌むべき単語。聞きたくもない。北海道だろうが江古田だろうがそれは味わいたくない。世の中にはそれ以外にたくさんおいしいものはあるのだ。わざわざそれを選ぶ必要はない。青子とは話したいが忌むべきものの話はしたくない。スマホと耳の距離を置こうとすると、別の単語が耳に入った。
『あの、あのね! お土産はじゃがいも! じゃがいもがいい!』
「なんだよ、じゃがいもって……」
じゃがいもって、あのじゃがいもか。江古田のスーパーで握りこぶしくらいのものがいくつか纏まって売っている。土産何がいいか考えとけとは言ったがじゃがいも。わざわざ何故。
『北海道ってじゃがいもでしょ!? ほくほくで! 炊いても煮崩れじゃなくいい感じにとろけて…肉じゃがとかカレーとか……あとこふきいもも作りたいし! それに……キャベツ! すごくおっきいって聞くからそれも! あと、人参?』
あれやこれやと一息に言う。
「子供のおつかいかよ。どんだけ買うんだ」
『……あはは、重いかな……重いよね。えっと……だったら……』
普段なら打てば返ってくる言葉。しかし今は。いつもと違い少しずつ消えていく。何かに気付いている、そんな態度。青子に何かあったのか。それとも、通話先が北海道じゃないと気づいたのか。さっきの「いつもと違うご飯」とは。北海道は日本だ。今いるシンガポールと違ってそんなに食文化は違わない。いや、怪我している事を気付かれているのか。
刹那、ありとあらゆる考えを巡らせるが結局いつも通りの言葉を……しゃーねーなあ……と選び呟いて、
「いーよ、買って帰ってやるよ。どこの店のじゃないと駄目とかねーんだろ?」
覚られないよう明るめの声で返す。重かろうと重くなかろうと青子の希望だ。買いに行ってやる。
『うん! 普通のスーパーのでいいよ!』
決まりだ。東京についてから北海道行きの飛行機に飛び乗ってスーパーか道の駅に行けば何とかなるだろう。ストレスなく行ける乗り継ぎ寺井ちゃんに調べてもらおう。
「わーった。じゃがいもと人参とキャベツ? だけでいいのか?」
『うん! 帰ったらカレーと肉じゃがとこふきいもとロールキャベツと……あと、いろいろ作るね』
「盛りだくさんじゃん」
俄然やる気が出てきた。食材を買って帰ったら食べ物が出てくる。しかも青子の作ったもの。今から楽しみでしかない。心が浮かれる。落ち込んでいる場合じゃない。
『そーよ、楽しみにしててよね!』
「おう、楽しみにしてるぜ」
自然と軽くなる声と心は隠しようもなかった。いや、こういうのは隠さなくていい。素直に伝えとけ。今日の快斗は素直だね~と言われ、オレはいつだって素直だろと返すと柔らかい笑い声が聞こえた。
『おやすみ、快斗』
青子からの一日の終わりの言葉に、おやすみと快斗も返す。通話の終わったスマホは先程までの暖かさは失ってただの無機質な塊になった。手に持ったまま、空を見上げる。幼馴染の彼女の色。
少しだけ目を閉じて、色を味わう。
早く終わらせて、帰ろう。直接声を聞いて話したい。
はやく、かえろう。
SIDE:CONAN
「なんだよ、じゃがいもって…」
光の消えていく空に近いビルの屋上。コナンは怪盗から隠れるように給水塔にもたれた。怪盗の少し呆れたような、でも今までに聞いたことのない位の穏やかな声が聞こえる。
シンガポールに来てから割と素が見えてきたと思ったがそうではないらしい。こちらに対してはどこまでも演じているのだ、この天下の大怪盗は。必要な手の内は見せるが本音は見せない。
「子供のおつかいかよ。どんだけ買うんだ」
ふてくされたような返答。こちらには背を向けている状態なので表情は見えない。通話を続けながらも傷の手当は進めている。左の上腕部からはかなり派手に出血しているのが遠目でも判るほどだ。血をぬぐう仕草。なかなか止まらないみたいだな、とコナンは眉根を寄せる。慣れ合いたい相手ではないが、怪我を見過ごすほど冷たくはなれない。
「いーよ、買って帰ってやるよ。どこの店のじゃないと駄目とかねーんだろ?」
怪盗が空を見上げながらからりと答えた。彼の持つスマホから漏れ出る声は声のトーンから多分女の子。ここからだとなにを言ってるのかまでは聞こえない。その気になれば聞けると思うが、さすがにそれははばかられる。怪盗相手ではなく、その通話先の子に。
「わーった。じゃがいもと人参とキャベツ? だけでいいのか?」
おつかいを頼まれてんのか。シンガポールまで来て。おつかい頼まれるのそんなに嬉しいのか。いやまあわかる。他愛ない事でも頼られると嬉しい。
「じゃあな。おやすみ」
名残惜しそうな、しかし破壊的に優しい声音。通話先の相手にどれだけの感情を持っているのかまるわかりだ。ただ、会いたい相手。ずっと話していたい相手。話を終わらせたくない相手。自分にもいる。わかる。分かりすぎる心当たりのありすぎる態度に、感情に少しだけ毒気が抜ける。早く会いたい。
怪盗の通話が終わり、空を見上げているのかと思ったら「で、そんなとこで何してるのかな名探偵」と、いきなり話しかけられた。気付いてたのか。
「おつかい頼まれてるの聞いてたんだよ。間違えて買って帰るなよ」
「しっつれーだな。買い間違いなんてしやしねーっての」
傷口を水で洗うとガーゼで覆い、テープで止めていく。手慣れてんな~とその手元をコナンの視線が追う。
「で、どうなの名探偵」
「どうって、何がだよ」
「何が起こってるか判りそう? さっさと終わらせて帰ろーぜ」
「おめーなあ……」
誘拐まがいなことをしてここまで連れてきて事件を解けと言い、かと思えば早く帰ろうとか。傍若無人にも程がある。
「名探偵は早く帰りたくない? 彼女の飯、食いたいだろ」
「いや、まあそりゃあ……」
食べたいに決まっている。蘭に普通に会いたいし、作った食事も食べたい。当たり前の話だ。
こいつもどれだけ彼女の飯が食いたいんだか。いつだったかもそう言っていたし。
「だろ。だったらなんとかしよーぜ。他に調べた方がいい事ある? 探してきた方がいい?」
「やる気出しすぎだろ」
「ふつーだよ」
おさまらない左肩の出血。怪盗はまた新しくガーゼを準備し、手当をやり直す。
「ま、解けないままほってはおけないからな」
にやりと笑みを浮かべながら近づいてくるちいさな探偵に、大怪盗は振り向かずに視線だけよこした。
ENDING
シンガポールのとある中継地点で寺井ちゃんと待ち合わせた。
「北海道ですか。坊ちゃまが直接行かれるので?」
「そう。青子がじゃがいも欲しいって言うから。帰ったらそのまま北海道行って買ってから東京戻ってきたいんだけど丁度いい飛行機ある? 新幹線でもいいや」
「私が調達してから坊ちゃまにお渡しした方がお時間は短縮されるかと思いますが」
「あ、いや。オレが買って帰るって言ったからオレが行ってくる」
そうですか、と何もかも分かったように頷く寺井ちゃんには勝てない。頼む、とだけ告げて別れた。
東京に着いてからはばたばたで。名探偵の彼女はオレを捕まえようとするし、警部はいるし。
なんとかすり抜けて北海道行きの飛行機乗ってじゃがいも、人参、キャベツを調達し滞在時間は数時間でそのまま東京に戻ればかなり遅い時間。翌日にした方がいいか、そう思わないでもなかったが兎に角会って渡したかったし、ただ会いたかった。会って渡したらすぐ家に帰ろう。明日ゆっくり話せばいい。だから帰ってきた、今から行く。と一言メール。わかった! と簡潔な青子の返事に安堵する。
迎えに来てくれていた寺井ちゃんの車に乗り込み一息つく。やっと、帰れる。
家について玄関にスーツケースを放り込み北海道の戦利品だけひっつかみ隣家に向かう。インターホンを押すと軽やかな音。ぱたぱたと足音が近づく。今から行くとメールはしたけど、モニターで誰が来たか位は確認してからにしろよ青子。警戒心ねーなあ。ガチャリと勢いよく扉が開く。そして
「お帰り! 快斗!」
いつもの青子の笑顔にただいまと返し、山のようなじゃがいもと人参とキャベツを差し出した。