「青子を蘭ちゃんの代わりにしないで!」
侮蔑に満ちた視線を向けられたのは初めてだった。
代わりにしようもない。青子は青子しかいない。近寄って胸が高鳴るのも、触れる度に胸が躍るのも青子しかいない。
「ちょうどいい練習台かもしれないけど、都合いいのかもしれないけど、青子は青子だから。蘭ちゃんじゃないから。そういうのは……やめて」
練習なんて、都合がいいなって思った事もない。青子はずっと青子だ。ただ、青子が……。
「近寄らないで」
強い拒絶の色。白い怪盗であることが分かった時よりも強く。
嫌いという言葉さえ出てこない程の拒絶。いっそそう言われたほうがすっきりした。
「ちゃんと失恋しないと……」
「なんだよ、青子は失恋したのかよ」
何度も繰り返される『失恋』にいら立ちが隠せず、問い返す。聞き返されると思っていなかったのか、言葉は続かず。口は真っ直ぐ閉じられ、ただ快斗を見つめた。
「どうなんだよ」
「したよ」
「誰にだよ」
「いいたくない」
「いえよ」
「なんで快斗に言わなくちゃいけないの」
「青子の好きな人の事いいたくない」
踏み込むことを許さない声色。どうして。
「あお……!」
こちらを振り向かせようと延ばした手は空を切る。
その先には明るい光。鳥の声。少し冷えた朝の空気。
夢を見ていたと気付き、延ばした手をおろす。
「あー……きっついな、さすがに」
キッドだと知られた頃、名探偵の彼女にしたことが青子に伝わり。オレの好きな人は名探偵の彼女だと青子が勘違いした。あの時は工藤=キッドだと思い込まれてしまったから、そうではないと情報を操作するためだけだった。まあ、役得かな~とか思ったのは否めない。彼女に近づいて、当たり前の話だが青子じゃないと気づく。気持ちがどんどん冷めていき、適当にやり過ごした。あの状況で相手が青子なら、何をしたか判らない。いや、理性総動員させて何もしなかった気もする。
『ちょうどいい練習台』『都合がいい』そんな風に思わせてたのかと呆然とし、『近寄らないで』で頭が真っ白になった。
『失恋した』と言われ、その相手にムカツキが収まらず聞き出そうとして尚更に距離を置かれもした。今にして思えばオレの事を言ってたのかとわかるけど、あの時はそんな余裕なかった。元々青子が絡むと余裕がなくなってしまう。
失恋したなら誰のものでもない。だったら、オレと付き合えばいいだろと思ってみても名探偵とこのと勘違いしたままで近寄ることも出来ず。
ずっと蔑んだ眼差しで、人ではないと言われている気がした。
他の奴にならそう思われても気にもしなかった。ただ、青子にだけはそう思って欲しくない。
あれ以来、過剰なエスコートはしないようにした。そんな疑われ方はしたくない。
「なんで今なんだろうな」
付き合い始めても、その前までの距離に戻るのはすごく時間がかかった。青子からは絶対近づいてこなかった。こちらが近づけば身構える素振り。
何年もかけて近づいた距離を壊したのは自分だ。ばれないと高をくくっていた自分が悪い。
キッドだもんしょうがないよね、と拗ねる程度になった時にはちょっとほっとした。
しょうがなくはないけど、話が出来るようになったことに安堵した。
ただ、傍にいて話せる距離に戻りたくて話せることを沢山話した。
笑い顔がやわらかくなるまで、青子から手を指し延ばしてくれるまで、何もかも。
「なーんで今頃思い出すかな」
布団から出していたせいで冷えた手を目元にあて、冷静になれと繰り返す。
くすぶっている何かを思い出すのは組織の残り火を追ってるからだ。工藤の手伝いと称していはいるが、お互いが潰した組織の残党を見つけては潰していく果てしない作業。青子には伝えていない。工藤も自身の彼女に伝えていない。ただ一人、警部には伝えた。
「伝えた方がいいんだろうな」
もしもで青子に被害が出たら。キッドでいた時も何度か巻き込んだ。あの時は離れないと決めていた。今も離れる気はない。青子が離れたいと願わない限りは。一番近くが一番守れる。
「どうしたの快斗。なんでそんなに甘えっこさんなの」
起きてきてからずっと青子を後ろから抱きしめてる快斗。動いてもついてくる。二人場折りってこんな感じだったかな~とかふと思い出す。朝食の支度にちょっと邪魔なんだけどな、と思いつつも普段と違う呼吸に断れない。
「快斗? 何かあった?」
「ちょっと夢見が悪かっただけ」
青子のお腹で交差してる快斗の手に力が入る。首元には快斗の頭……正確には口元が当たってて、呼吸する度くすぐったい。
「あのな」
「うん」
くすぐったさがちょっとだけ動いて耳元にかかる。躊躇う息遣い。
快斗は言う言わないがはっきりしてて、こんなに次の言葉を迷うことは珍しい。怪盗だってこと告げた時だって、迷ったのは一瞬だった。
そう、怪盗キッドだった時。今はもう予告状出してどうこうなってしてないけど。多分、これは。
「怪盗さんの事?」
快斗が身じろぐのが青子にも伝わる。大丈夫だよ快斗、責めたりはしてないから。
「なんとなく、なにかあったんだろうな~って。工藤くんのお手伝いとか言ってるけど、一般人が何かできることそんなにないもん。それとも、青子は知らないふりしてた方がいい?」
知らないふりは上手になった。その方が快斗はいいっていうなら、出来るよ。望むように。
「ちょっとだけ知っといてくれ。全部終わらせたけど、残ってるやつがいる。だからそれを全部潰す」
最後の言葉に力が入る。
「別に表に出てきて何かなったりはしない。普通でいれるようにしてるから。でも、何かあったら言え」
「うん」
耳元で響く声。青子にちゃんと届いてる。だから、青子も返す。
「青子はね、快斗がいなくなるのが一番いやなの」
どうか、そんな事が起こりませんように。
━━ 次に、あの時のようなことが起こるなら、三つ数えて全てを消そう。