「あ~……めんどくさかった」
空には白いお月様。今日のジュエルも外れだった。
誰とも知らない、人の家の屋根を飛びながら帰宅する。
美人は嫌いじゃない。寧ろ好きだ。スタイルの良い女も嫌いじゃない。寧ろ好きだ。ぐいぐいくる女は苦手だ。強い香水の匂いに、手には小瓶。何の薬が入っているのやら。
媚薬とかそういった類。軽く嗅いだ位だからそこまで影響はない。ないけど、ちょっと来てる感じがある。
だから、いつもだったら青子の所に寄るけど。今日は帰ろう。そう思っていたのに
「おかえり! 快斗」
自然に足はそちらに向いて。今日はいけない、と連絡したはずなのになぜかベランダにいる青子。
なんでいるんだよ、とかさっさと寝ろよとか言わなくちゃいけない事は色々あるのに真っ先に出た言葉が「ただいま」だった。しょうがない。笑顔でおかえりとか言われて返す言葉なんてそれしかない。
行かないとは言ったものの、待ってくれていたんだろうかとか思うと沈んでた気持ちも跳ねあがる。
が、しかし。
普段ならベランダに飛び降りる。が、その手すりの所で踏みとどまる。それに気づいた青子が心配そうに尋ねてきた。
「どうしたの? 何かあった? 怪我したの?」
浮かぶ不安の色。怪我とかそんなのじゃない。近づくと何かをしそうで危うい。だから近づけない。
オレが近づかないから青子も近づかない。そうこうしているうちに不安の色が増していく。ああ、その顔はダメだ。オレが悪かった。
「媚薬」
ぽつりと単語を呟けば、青子がびやく? と疑問符を巻き散らかしながらその単語の三文字を繰り返す。意味するところに辿り着いたらしく俯いて指先を弄ぶ。少しの間そうしていたけど意を決したように顔をあげると
「青子、何かした方がいい?」
そう聞いてくる。覗き込んでくる瞳がゆらゆらして。悪い、その顔もいまは困る。
「しなくていい」
「そ、か。何かするなら青子じゃない方がいいよね?」
しょぼんと視線が沈んで。ああ、そうじゃなくて。そう言う意味じゃなくて。あ~……どういえばいいんだ。こんなのじゃなくて、えーとな。
「ん?」
こてんと小首を傾げる仕草は子猫のようで。そんな事をされたら、素面の時でも精一杯ポーカーフェイスを装うのに。こんな時では
「襲いそう」
本音がしれっと出てしまった。
青子の暗い表情が薄まり消え、そしてぱくぱくと言葉にならない言葉を発し。こちらを睨み上げると
「…………はぁ!? な、に、言ってるの!? 青子だよ?」
震えた声で言う。ああ、怒ってるなこれは。でもしょうがない。
「だからだろ」
「胸無いよ!?」
「知ってるよ」
「失礼じゃない!?」
オレは手すりから飛び降り、尚も叫ぼうとする青子を自分の胸に押し付ける。一応夜もど真ん中だ。近所の人に気付かれたら困る。それを察したのかもごもご動かしていた口を静かに閉じて、オレの背に手を回してきた。この態勢その位置では少しだけ指先が届かない。でも青子が近くて、
「においがする」
優しく心地よい。加工されたものじゃない。
「ちゃんとお風呂入ったけど?」
「じゃなくて、青子のにおい」
深く吸い込む。お風呂上がりのふんわりとした、やわらかさ。
「~~~何言って、んもー!」
馬鹿にしてるでしょ! とぷんすこぷんすこ服を引っ張る。やめろ、伸びる。
「黙ってぎゅっとされとけ」
「ぎゅって……」
もごもごと何事か呟きながらも素直にオレの腕の中に納まってくれる。落ち着く。ずっと知ってる青子のにおい。
尚ももごもご動いて顔を出してみたりうまってみたり。鳥みたいだな。寝心地のいい場所探してる小鳥。こいつは何故そんなに小動物なんだ。
「ね、かいと……青子でも襲いたくなるものなの?」
零れ落ちた言葉を掘り起こしてくれるな。なんとか、なんとか、意識をそらしてるって言うのに。背中に回された指に力が籠められ、尚更密着する。『襲いそう』って言った男になんでそんなにより近く近づくんだ。いや、
「……襲っていいのかよ」
「やじゃないよ」
頭をオレの胸元にうずめて青子が言う。言葉を反芻して、理解したら全身の血液が顔に集まるのが分かった。それは、そういうことでいいのか。
「快斗、あったかいね」
くすくすと笑う吐息が心地よい。そうだな、あったかい……というより熱い。上がりすぎた熱はどうやっても冷めそうにない。ありとあらゆる方向性を試行錯誤しているうちに、聞こえてきたのは寝息。青子の。
「……ここでそれかよ」
この幼馴染は健康優良児。日付変更線を越えるこの時間に起きている事なんてまれだ。起きているのはオレが怪盗稼業を終えて帰って来る時くらい。自分のいつもを変えて待っていてくれる。
両手で抱えあげると近くなる寝息。
「あー……また今度な。おこちゃまは寝てろ」
そうひとりごちて、部屋に一歩踏み込んだ。